空白の瞬間

不思議な時間だったなと思う、過去に似た感覚になったことは何度かあって、たとえばたしか2016年末、長らく使い続けていた携帯電話がついに天に召され、時勢の波にずいぶんと乗り遅れながらもスマートフォンを購入するまでの、空白の一週間、か二週間くらい、空白の○○って書くとき期間が曖昧だと見た目微妙ですね、ただ空白の期間は空白であるが故に記録から抜け落ちやすいのである、場合にもよるかもしれない

ともかくその謎期間、感じていた感覚、

たとえば遠征先とかでもプチそれが起こる、筆者は旅行などには一切いかない人間であるのだが(行きたいとは思っている)、仕事で遠征することはごくまれにあり、どうしてか西方面ばっかりなのだが、それもやけに鳥取が多いのだが、そんな旅先の宿でホテルでどうしても生まれる空白の瞬間がある

そのふとした空白に差し込まれる感覚、

具体的にそれを言い表すことは非常に難しく、まわりくどいいろんな方向からのジャブやジャブジャブでほんのりそれを濁し表すくらいのことしかできないし、そもそも別にそんなことをする必要があるわけでもまったくないのだが

たとえばこのコロナ療養の五日間――ちなみに隔離は七日間なのでまだ明けていないのだが、PCを開いて文字を書くくらいの余裕は出てきた現在というのが五日目に当たる――やけに眠りは安らかだった。もちろんそれは複合的な体調によるところであろうし、それだけで何もかもを結び付けようとは思わないけれども、止まらない咳鼻水、唐突に訪れる悪寒と痺れと震え、的なもろもろが常に付きまとい続けたそのわりには、けっこうすやすや寝れていたのだ。普段の倍以上寝てるだろうに、普段より寝つきがよかった

まぁ配給食でこれみよがしに多量の乳酸菌と野菜ジュースをぶちこまれたことも原因としてはあるかもしれないが、そういえば今日などはコロナ罹患前よりも末端が冷たくならず、さきほど久しぶりにお風呂に入ってみたが浴室でもいつもより凍えることがなかった。ふだんは冬の間お風呂は好きなのだが身体を洗ったりお風呂から出たりするときの寒さがつらすぎて泣きそうになっているのだけれど、今朝はそれがいつもよりぜんぜんマシだったように思う。体感10月くらいだった。このままこんなかんじの末端を保てたら万々歳であるが、コンスタントに大塚製薬ボディメンテとキリンイミューズを身体に流し込み続けなければならないのだとすると実現はなかなか難しい。ちなみにパルスオキシメーターは指先が常に冷たすぎて一切反応しなかった

まぁそんな体調事情はさておくとして

基本的に寝つきが悪い私がすやすや寝れているのはそれだけでレアケースではあるのだけれど、今回に関してはそのことにあまり違和感がなかった。なんとなく、そうだろうな、という予測はあった

好きな、と言い切るのがやや憚られるのだけれど、たまに思い出す言葉があって、「すべてを手放して眠ろう 生きることも死ぬことも忘れて」的な、細かいところ違うかもしれないがまぁなんとなく概ねこんなような雰囲気のテンションの文章がこの世のどこかに存在するのだが感触としてはそれに少し近い

携帯電話が壊れた空白の一週間(ないし二週間)、旅先の宿で生まれた何もない十五分間とか

この世のあらゆる営みが自分と関係ない距離で動いていてその音をただ聴いているだけ、ということが自然になる瞬間がある

そのとき感じるいとしさとさみしさとやすらぎを全部混ぜたようで実はそのどれとも異なる感覚

私はそういった状況がじつのところかなり好きだが、ただ普段より考えていることは同じであるようにも思う、自分にとって重要なものは、自分自身以外のどこかにこそあってほしいと、常に願う